場末の映画館

昔は、映画館が小便臭かったもんだがなあ。

もはや想像力は無用なのか!?「ダンジョントラベラーズ2」の悲劇

 

 ご存知か?

 昔の、パソコンゲームは実に貧弱だった。例えば、ダンジョン探求型のゲームで有名な「ウィザードリィ」である。迷路のグラフィックは、真っ黒の画面に、白い直線で廊下や扉らしきものが描かれているだけだ。

 突然、ショボい電子音と共に変な生き物のイラストがあらわれる。全然リアルじゃないし動かない。ただの絵である。だが、私の心臓は、それを見た瞬間に跳ね上がるのだ。

 敵だ! みんな気をつけろ!

 私は、キーボードに指を走らせ、即座に自分のチームに命令を与える。彼らは、私が作り出し、時間をかけて育て上げた戦士や魔法使いである。

 よし、サムライの花子さんは、敵の戦士をやっつけてくれ。魔法使いの純子さんは、火の玉で相手の僧侶をたのむ。盗賊の恵子さんは、とりあえず防御していてくれ。決して前に飛び出すんじゃないぞ。

 などとつぶやきながら、対戦を続けるのだ。

 あーっ、何をしている。花子さんが大ダメージを食らった。そんなスカートをはいてるから、パンツが丸見えじゃないか。ちゃんとヨロイをつけておけと言っただろうが。純子さんも呪文をとなえるときに、カラダをゆすりすぎだ。巨乳がゆれてるじゃないか。けしからんっ。

 実際には、「花子は16のダメージ」とかの文字が出ているだけである。だが、それでは面白くないので、脳内で映像を作り出しているわけだ。

 思えば、バカなことに時間を費やしたものである。

 で、今はもうそんなバカなことに時間を費やしていないかというと、やっぱり、まだまだ費やしているのだ。いや、もっと費やしていると言っても過言ではない。

 いまだにAmazonのゲーム評を読むのが楽しみのひとつである。人間、そうそう進化はしないのだ。

 ある日、「ダンジョントラベラーズ2が面白い」とネットでおすすめしているブログを読んだ。チェックしてみるとAmazonの評価も高い。ゲーム絵がいかにも今時のアニメ的なもので好みではないのだが、これだけの高評価だ。さっそく取り寄せたのである。

 ワクワクしながらスイッチを入れる。

 久しぶりに、私の類まれなる想像力を解き放つときがきた。今回は、花子さんに黒のパンツをはかせてやろう。純子さんは、巨乳から爆乳にバージョンアップだ。新たなキャラクターとして雪子さんも作ってやろう。当然、雪子さんのパンツはシースルーである。

 そしたら、あなた。

 主人公の男がチームリーダーになり、メンバーもあらかじめ決められているゲームだった。名前も決まっているし、人間とかエルフとかの設定もないようだ。しかも、驚いたことにメンバー全員が女の子なのだ。ウィザードリィでは、顔も見られなかったのが、このゲームでは総天然色で描かれている。声まで出るのである。

 さらに、敵のモンスターまで女の子で、きわどい下着姿だったり、巨乳だったり、これでは、私の想像力を発揮する場面などどこにもない。私が妄想するまでもなく、パンツが見えているのである。

 これが進化というものか。

 私は、一抹のさびしさを感じながらゲームを続けた。私は、かつてのゲームの良さを否定したくはなかった。これは、RPGにおける進化なのか。いや、これは断じて進化などではない。ゲームと人の関わりにおいて、これは退化と言うべきであろう。想像力を駆使して楽しむあの時代のゲームこそが……。

 おっ、またパンツが見えた。

 夢のようじゃないか、と私は思わずつぶやいた。