場末の映画館

昔は、映画館が小便臭かったもんだがなあ。

ガメラ派の「ゴジラ-1.0」レビュー

私は、断然ガメラ派である。

ゴジラがシェーをしたのを見て、子供ながらに腹を立てた。そして、「父上、もうゴジラを見にくるのはやめましょう」と進言したのだ。まあ、すぐにガメラも子供の味方に成り下がったのであるが、さすがにガメラはシェーはしない。

平成ガメラは、そこそこ楽しめたが、それでも子供っぽさは払拭できていなかった。昔ながらの怪獣映画だった。ギャオスの非情さがガメラにも欲しいと思った。

「シン・ゴジラ」を見たときは驚いた。こんな見事な会議映画は見たことがない。あのデジタル複合機のセッティングシーンは、会議映画としてベストと言っても過言ではない。ひとつ不満があるとしたら、デジタル複合機が京セラのTASKalfa206ciだったことだ。分速20枚では効率が悪すぎる。ゴジラを相手にするのだから、分速50枚が最低ラインだろう。

さて、そんな私が「ゴジラ-1.0」を見てきたのである。山崎監督に私は少し偏見があって、見る前に想像したのは「はぐれゴジラ純情派」みたいな作風である。「ALWAYS 三丁目の夕日」のイメージが強いのだろう。好きな映画ではあるのだが、私は、ドライなタッチが好きなのだ。「ゴジラ-1.0」にも重要な配役に吉岡秀隆がいる。これはもう、間違いなく「はぐれゴジラ純情派」になるのに決まっているのだ。

そのせいか「ゴジラ-1.0」には、苦手なシーンが多々あった。特に、危険な任務に対して皆が一致団結するシーンがあるのだが、私はこういうのが一番苦手だ。いつも斜に構えるひねくれ者である。

展開として面白かったのは、アメリカが介入してこなかったことだ。日本の敗戦直後、アメリカの軍が動けばソビエト連邦を刺激するのである。沈めるはずだった一部の艦船を引き渡すから、日本でゴジラをなんとかしろというわけである。

「シン・ゴジラ」では日本国政府の元、官僚を中心に自衛隊や民間の働く自動車が活躍したが、「ゴジラ-1.0」では、完全に民間主導の作戦だ。また、試作機「震電」の飛ぶ姿を見ることができるのもポイントが大きい。こいつを量産できていたら、無差別爆撃するB29を墜としてやれたのにと残念で仕方がない。大日本帝国、万歳!

人間ドラマは私が苦手な領域だが、それでも映画としては満点である。「シン・ゴジラ」も満点だったが、それ以上かも知れない。

見に行った映画館は、IMAXレーザーというシステムでちょっと高かったのだが、次は普通の映画館に見に行こうと思う。3回は映画館で見るべき作品だ。よ~し、今日、行ってこよう。いやいや、今すぐ行ってこようと思うのである。諸君も早く見に行った方がいいぞ。