場末の映画館

昔は、映画館が小便臭かったもんだがなあ。

名前にこだわる人たち

 

少し前に夫婦別姓の判決が出ていたようだが、私は全然興味がなかった。名前そのものに興味がないのである。そもそも人の名前を覚えられない人間に、夫側の姓だろうが妻側の姓だろうが意味がないのである。

気になるのは、子供が生まれたときの姓をどうするか、だ。

例えば、母親が山田で父親が田中だった場合、子供の名前は山田か田中か。それとも山田田中にするのか。合体して山田中なのか。どちらかの名前を取るのなら、それは夫婦別姓を貫いた人の考えとも思えない。じゃあ、最初からどちらかの名前に統一しとけよという話になる。なにをかたくなに意地をはっているのか。

おそらく名前というものにものすごいこだわりがあるのだろう。「私は、山田という名前でしか生きていけない!」という感覚なのではないか。アイデンティティが存在しない私には、まったくもって理解しがたい人たちである。私なら山田でも田中でも奥山でも笹川でも何でもいい。なんだったら日替わりにしてもいいくらいだ。

まあ、実を言うと、私は自分の姓は嫌いだから、できればクレオパトラ似の妻の姓にしたかった。だが、どちらかというと妻の姓は格が高い。例えば「朱雀院」みたいな名前である。

あなたね、普通の人は、朱雀院などという姓を名乗れるわけがない。病院や銀行で「朱雀院様、お待たせいたしました」などと呼ばれたら赤面ものですよ。周りの人が「え、朱雀院? 伊集院よりも格上っぽいぞ」などと興味津々で見たら、もう、ヨレヨレのハゲの爺さんですよ。ああ、周りの皆さんの、あからさまなため息が耳に痛い。

私の名前は、まあ、ここでは伏せておくがあまりきれいな名前ではない。とはいえ例えば「金玉(きんぎょく)」さんなんかよりは遙かにマシで、世の中には実際にこの名前の人がいるらしく、実に気の毒。

いつも「おーい、キンタマ」と呼ばれているに違いないのだ。子供の頃からあだ名は「キンタマ」なのである。きっとぐれまくるに違いない。「どうして僕の名前は『キンタマ』なの。みんなに馬鹿にされるんだ」

考えてみれば、人間というのは不平等で、容姿も知的能力も身体能力も、すべて差がある。おまけに名前まで生まれつき格好いい人もいれば、かっこ悪い人もいる。夫婦別姓などと細かいことは言わずに、もう、自由に名前を変えられるようにしてもいいんではないかと思うのである。

「妻山田夏子と夫田中春男はこのたび結婚し、親族一同で協議した結果、姓を『四季』としたことをここにご報告いたします」

新しい姓で新しい人生を始めるのだ。実にめでたい。