場末の映画館

昔は、映画館が小便臭かったもんだがなあ。

咳をしても一人。なぜ、キミは寂しいのか?

 

 ある日、知り合いのデザイナーがやってきた。そして、いきなり言うのである。

「ああ、寂しいてしょうがないわ」

 私は、ゾッとした。彼は、60過ぎのジジイである。そんなジジイが「寂しい」などと気持ちが悪いにも程がある。そもそも彼は結婚しているし、確か、孫までいるのではなかったか。

「いや、事務所に一人でおるとな、寂しいてしかたがないんや。特に、暇になるとあかんねん」

 私も彼も、個人事業主の立場である。

 たまにバイトを雇うこともあるのだが、基本的には一人で仕事をやっている。だが、私は寂しいなどと感じたことはない。バイトがいると、オナニーどころか鼻くそをほじるのも苦労するのである。私の性欲と快適な鼻呼吸を阻害しやがってと、いつも腹立たしかった。

 そう言えば、前にネットで見たことがある。

 74歳の爺さんが独身のまま生きて、親が死んで一人になり「やっぱり寂しいんだよね」などと語っていた番組があったらしい。それをネタにしたまとめサイトを見たのだが、私などはさっぱり理解できなかった。

 それだけではない。最近よくネットで見かけるのだが、「30を過ぎて独身は絶望的だ」とか「40を過ぎて結婚していないと地獄だ」みたいなまとめサイトがあって、あれは一体何なのだ?

 異次元の少子化対策のための工作員なんだろうか?

 一人が一番自由で気楽に決まっているのだ。誰に気兼ねすることなく鼻くそをほじって食べることができるのである。いや、ウンコだって食べ放題だぞ。女性の下着を着て眠ることだってできるのだ。

 結婚すればどうなるか。自由は消え去るのである。

 心配事が増え、やっかいごとが増え、煩わしさが増え、面倒なことが増え、子供ができればさらにそれらの負の要素は何倍にも増えるのだ。

 一人は、寂しい?

 アホか。人間は基本的に一人で生きていける動物なのである。そういう社会構造にまで発展しているのである。よく安っぽいドラマで「人間は一人では生けていけないんだ」などというふ抜けたセリフがあるが、あれは間違いなのだ。

 そもそも一人で生きていく覚悟のない人間には、他人を思いやったり愛することはできないのだ。友情とは、「友達などいらない」と考える者同士にしか生まれないのである。SNSでの関係など、あれは無に等しい。

「子供の顔を思い浮かべれば、つらい仕事も我慢できる」

 私が一番嫌いなセリフである。やりたい仕事に就けていないこと、一歩踏み出す勇気がなかったことの言い訳に、子供を使いやがって、と私などは憤怒するのである。一生、つらい仕事を続けやがれと思うのである。

 決して、世間の風潮に乗って結婚など軽々しくするべきではないのだ。

 まあ、私にはクレオパトラ似の妻と非常にできのいい一人息子がいるわけで、そんな私が声を大便にして語ったところで説得力はないだろうが、あなたね、本当に無理に結婚などしなくてもいいのである。

 するべき相手が見つかったときだけ、結婚を考えればいいのだ。婚活だマッチングアプリだと、無理に相手を探す必要などない。

 先ほども書いたが、妻子がどんなにすばらしい人間でも心配の種は尽きないし、むしろ飛躍的に不安の種は増えていく。さらには最後には死ぬという絶対に揺るがない結論がある。妻も死ぬし息子も死ぬ。血圧200を超える私などは、すぐに死ぬのである。ああ、私はなぜ生まれてきたのか。

 まあ、生まれてきたのは自分の意思ではないので仕方がないが、結婚しないという選択肢は選べるのである。

 時折私は、もし自分の結婚運が悪かったならば、と想像する。

 今頃私の妻は、毎日お菓子ばっかり食べてぶくぶくと太り、「グッチのバッグ、こうてえな」などとほざき、引きこもりの息子が「オヤジのカードでゲームの課金30万円つこてしもたで」などとヘラヘラ笑ったりしているのである。私は、日々、絶望の中で生きていることだろう。毎朝、毎晩、「ああ、結婚などしなければよかった」と悔やみ続けているに違いない。

 ああ、今の妻子でよかったと心からホッとするのだ。

 いや、ちょっと自慢してしまった。申し訳ない。