場末の映画館

昔は、映画館が小便臭かったもんだがなあ。

君は、なぜ私のことが好きなのか?

 

 パッとしない男が、パッとしないリビングのパッとしないソファに座っている。はっきり言って、顔は不細工である。体型も小太りで身長も低い。

 非常に残念だ、と彼は考えていた。福山雅治の顔で生まれてきたらどんなに幸せだったか、と毎日、いや食前食後に考えていた。

 お金が大切なように、顔も大切である。お金がすべてではないと言う人もいるが、大切であることは間違いない。顔じゃなくてハートだという人もいるが、顔がどうでもいいわけではない。詭弁はやめよう。

 彼の小学生時代も、モテているのはイケメンだった。面白いやつやスポーツが得意なやつもモテていたようだが、イケメンの前には存在がかすんでいた。中学、高校と、その傾向は強くなっていったのではないか。

 彼は不細工かつ運動音痴かつ成績の悪い子どもだったから、女の子にモテたことはなかった。舌が短いせいで滑舌も悪い。何を言っているかわからないらしく、よく聞き返された。だから、女友達もできなかったのである。

 そんな彼が、就職して間もない頃、高卒で入ってきた女の子に好かれた。彼のファンであると公言し、いろいろとプレゼントをくれた。

 訳がわからなかった。本格的に付き合うことはなかったのだが、退社するまで、財布や眼鏡ケースやボールペンや書籍など、毎月プレゼントをもらっていた。

 そう言えば、と彼は思い出す。ろくにお礼も言っていなかったなあ。「ありがとう」と胸の内でつぶやく。

 その会社には2年ほど在籍し、別の会社に移った。すると、新しい会社でも彼のことを好きだという女性が現れた。

 まったく訳がわからない。美術展だ映画だミュージカルだとその女性からデートに誘われた。興味のあるイベントには付き合ったのだが、デートを重ねても、単なる女友達のままだった。

 その会社は、1年半でやめて次の会社に移った。

 次の会社は大手だったのだが、すぐに彼のファンだという女性が現れた。さらに、回りの女性たちに呼びかけたのかファンクラブが結成された。毎日、3時になると彼のデスクにおやつが運ばれ、彼を取り囲んでお茶会が開かれた。

 さっぱり訳がわからない。

「わからんよなあ」と過去を振り返りながら呟くと、妻がそれを耳にしたらしい。「何がわからないの」と聞いてきた。

「ん」と彼は口ごもる。おっさんが語るモテ話など、「昔、おれはヤンチャでよお」と語る武勇伝と同類である。馬鹿なことこの上ない。

「どうして君は、おれと結婚したんだ?」と彼はたずねた。

「なんだ、気がついてなかったの?」と妻が答える。

「え、なんかあったの?」

「そうか、気がついてなかったのか」と妻がふふっと笑う。ラ・ジョコンダの微笑みである。その表情にひかれて彼女と結婚したのだが……。

「気がついてないって、なにに?」

「言わない」と彼女が笑いながら言う。

 彼は、混乱する。女性に好かれた原因が、なにかあったらしい。そんなものがあるとは、これまで想像もしなかった。いったいなんなのだ。顔は不細工。頭も悪いし、コミュニケーションにも問題がある。もちろん金もない。

 しかも、就職してからの急激な変化だ。

 まさか、ハートか。

 と考えて、いやいやいやと彼は首を振った。

 首を振りついでに、「守護霊でも付いているのかな」と、自分の後ろを見てみたが、そこにはラ・ジョコンダの複製画がかけてあり、ただ、不思議な微笑みを返すばかりだった。