場末の映画館

昔は、映画館が小便臭かったもんだがなあ。

彼女の呼吸は浅かった

 いやあ、むかしはひどかったなあ。

 みんなタバコを吸っていた。駅のホームはもちろん、電車やバスの中でもプカプカすっていたのである。職場でもみんな吸っているものだから、部屋全体が煙まみれで、一番奥の部長席などかすんで顔が見えなかったほどだ。吸っていなかったのは私くらいだ。

 一度、一人の女性が嫌煙権を主張して立ち上がった。病気になったんだそうだ。煙を吸うまいと、仕事中できるだけ呼吸を浅く、時には息を止めていたものだから、それが原因で呼吸器系の病気になったのだという。当時は、まだ受動喫煙などの被害もあまり知られてはおらず、そうした声を上げる人は珍しかった。

 私も無知だったせいで、自分が非喫煙者であったにも関わらず、その女性に対して「面倒くさいやつだな」と敬遠した記憶がある。結局問題は解決されずに、彼女は退社した。今思えば、非常に申し訳なかった。

 まあ、今でも私はさほど嫌煙派というわけではなく、特に知人の煙は気にならない。知らないオッサンの煙なら、「おれの前を歩きタバコするんじゃねえ」と多少は腹立たしいのだが、それでも後ろから後頭部をぶん殴ったりはしない。生まれながら温厚な性格である。

 ただ、やはりマナーの点では、喫煙者の一部に 困った人がいるのは事実である。特に困るのは、煙は、すぐに消えてしまうから目立たないのだが、ポイ捨てされた吸い殻はよく目立つし、見た目に不細工だ。

 例えば、私の家から駅までの約7分ほどの道のりである。

 うれしいことに、ほとんどゴミは落ちていない。中国人や韓国人に対して、「見よ」と自慢したいくらい清潔な道である。だが、あなた。駅に近づくにつれ、落ちた吸い殻が目立ちだす。おそらく家でも肩身の狭い喫煙者が、出勤しようと家を出て、「さあ、これで気兼ねなく吸えるぞ」と吸い出すのだろう。そして、駅が近づくと、「喫煙タイム、終了」とタバコをポイ捨てするのである。

 実は、駅近以外にもう一箇所、ポイ捨ての多い場所があって、それは古いアパートの前である。これは、帰宅して駅に着いた乗客が、「やれやれ、今日もようやくご帰還だ」とタバコを吸い出し、アパートの近くまで吸っていて、自室に入る前にポイ捨てしたのだろう。

 これが一戸建ての住人なら自宅前にポイ捨てはしないはずで、アパート住まいの住人には、そのあたりの道徳心が欠けているのかもしれない。困ったものだが、言い換えれば道徳心からは自由であるわけで、家に縛り付けられているよりも気楽でいいのかも知れない。

 ちなみに私がタバコを吸わなかったのは、鼻と口から煙を吐く不細工さに耐えられなかったからだ。昔の外国映画では、美男美女がタバコを吸うシーンが必ずあった。実に格好が良かった。マレーネ・ディートリヒあたりが、その筆頭与力だろう。

 だが、それは、美男美女がそういう演出やカメラワークや照明の中で撮られているからであって、普通の男女が吸っても鼻と口から煙を吐く滑稽な男女に過ぎない。

 特に私のような男がタバコを吸った日には、不潔感と不細工さが際立ち、誰もが目を背け、臭い臭いと鼻をつまむのだ。え~い、腹が立つ。

 せめてタバコが似合うような男に生まれたかったものだと、つくづく残念である。