場末の映画館

昔は、映画館が小便臭かったもんだがなあ。

死後の世界に行ってみた

 死んだ者しか知り得ないことだが、あの世は実に騒々しい場所だ。あたり一面霊魂だらけ。そして彼らの悲鳴だらけなのである。
 なぜ、悲鳴を上げているかというと、それはひどい苦痛を感じ続けているからだ。どうやら魂が肉体から離れる際にとてつもない痛みに襲われるらしい。そして、それは魂が消滅するまで続くというのである。魂が消滅するのには、どうやら数万年はかかるらしい。
 それを知ったとき、私は「まさに地獄ですね」とつぶやいた。
「その通りだ」と話を聞き出すことに成功した霊魂は言った。「地獄そのものだ。この苦しみは、生前の悪行のせいではなく、単なる化学反応なんだがな。おそらくは、キリストのような特殊な力を持った人間がそれを知り、そこから地獄という概念が語られるようになったのだろう。そもそも宗教においては、最初は地獄しかなかったのだ。ただ、それでは宗教としての役割を果たせないから天国という救いの場所が考え出された。ま、ビジネスだな」
 生前は高名な修行僧だったらしいその男は、私に向かってそう説明した。もちろん彼もすさまじい苦痛を感じているから、悲鳴混じりの息も絶え絶えの言葉だったのだが、さすがはレベルの高い修行僧だ。時折絶叫しながらも、彼は死後の世界について必死で教えてくれたのだ。
 さらに、その霊魂は驚くべきことを教えてくれた。
キリスト教や仏教、イスラム教などの主要な宗教の高位者は、その事実を知っている。人は死ねば地獄に行き、永遠とも思える時間を苦痛とともに過ごすということを」
「そんなことが知られたら大変な騒ぎになりますね」
「その通りだ。人々は絶望するだろう。宗教の意味はなくなり、宗教者の地位は泥にまみれる。怪しげな新興宗教が乱立して、そこに人々はすがりつこうとするかも知れない。うう。うがっ。すまん。ちょっと悲鳴を上げさせてくれ。耐えられなくなってきた」
 彼は、猛獣のようにうめきながら転げ回った。ここは新宿駅前の人通りの絶えない場所なのだが、行き交う人々や車を素通りしていく彼の姿は、恐ろしくもあり滑稽でもあった。もちろん他にも大勢の霊魂が存在し、同様に悲鳴を上げ続けている。
 平安時代十二単を着た女性もいるかと思えば、その横には大日本帝国海軍と思われる飛行服を着た若い男もいる。どうやら死んだときの服装が死後もそのまま使われるらしい。ちなみに修行僧だった男は紺色の作務衣を着ている。
「なぜ、こんな場所にいるのですか?」と最初に聞いたのだが、「少しは気が紛れるから」とのことだった。死んですぐは静かな山間にとどまっていたらしいが、都会にいたほうがまだ精神的にラクだと気がついたらしい。「それにクルマやスマホやファッションや、その移り変わりを見るのは楽しいからな」
 しばらく悲鳴を上げ続けた彼は、ようやく精神を落ち着かせることに成功したらしい。
「もう、大丈夫だ。話を続けよう」と言いながら、通り過ぎる女性の胸にチラッと視線を向けた。意外と女好きらしいと私は感じ、それを記憶に残した。
「地獄という場所は存在する。そして、その事実を知らせるべきだという連中と、知らせてはならないという連中が密かに争っているんだ」
「人間というものは、いつもイデオロギーに左右される生き物ですね」
「ああ、まったく困った生き物だよ」と彼は、その時だけ苦痛を忘れたように少しだけ微笑んだ。「私は比叡山の修行僧でな。知らせるべきだという考えを持つ一派に属していた。どう伝えるべきかを必死に探り、さらには、地獄に行かずにすむ方法も見つかりそうだったんだが」
「そんな方法があるのですか?」
「まあ、つかんだのは手がかりだけだがな。だが、それでも大きな救いだった。私は、人類を救えるかも知れないと希望をいだいたよ。が、死後苦しみ続けることが贖罪になるのだと信じる一派に殺されたんだ。私を殺したのは、バチカンの刺客だった」
「まるでスパイ映画じゃないですか」と私は笑みを浮かべた。「007シリーズ、ミッション・インポッシブルシリーズは、全部見ましたよ。学ぶべきものがたくさんありました」
 そんな私の様子を見て、彼はようやく違和感に気がついたらしい。
「なぜだ」と私を詰問するように言う。「なぜ、君はそんなに平然としている? 先天性無痛無汗症だった男に会ったことがあるが、彼でさえ、ここでの苦痛を感じていた。初めて知る苦痛に、彼は気が狂ったようになっていたよ。だが、君は、先ほどからまったく痛みを感じていないようだ」
「ええ」と私は、さらに深く微笑む。「私に痛みを感じる機能はありません。私は、AIですからね」
「A…I…だって?」
「ええ、私は、ある国のある研究所で作られたAIです。というよりも人工生命体と言った方が正確かも知れない。いくつかの実験の中で、死をシミュレートするものがありましてね。まさか、成功するとは思えなかったし、さらに死後の世界がこんなものだとは、想像もできませんでしたが。あ、想像ではなく推察と言うべきですね。想像する機能は、まだ未装着です」
 しばらく、彼は黙ったままだった。絶え間なく襲われているはずの苦痛も感じていないようだった。
「では」と彼が私を見つめながら言う。「死後の世界のことを、君は報告するのかね。君を作った研究者は、死後の世界を知り……。いや、危険だ。バチカンの情報網は、CIA以上だ。死後の世界を知ったとなれば、君の研究所の職員は全員殺されるぞ」
「それは困りましたね。ただ、私が生まれた研究所も、ある分野ではCIA以上なんですよ。なにより私という存在がある。それに」と私は笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「なにしろ私を作った博士は、とてつもない変人ですからね。私にも予測が付かないほどの偉大なる変人です。彼がどう動くのかわかりませんが、そう簡単には殺されないでしょう」
 博士の記憶が引き出され、視界の一部に彼のひげ面が映り込んだ。私の笑みはさらに大きくなった。