私は問いたいのですよ。
「君は、心の底からブルーベリーの収穫がやりたいのか?」と。
オーストラリアでブルーベリーの収穫をやれば、月収50万円という記事をネットで見て、私は疑問に思ったわけです。まあ、確かに日本の賃金は安い。ただ、仕事というものは金だけではないはずだ。いや、むしろ金よりもやりたいかどうかが重要なのではないかと言いたいのである。
これは決して理想論ではない。あなたね。やりたくない仕事を続けることほどの苦痛はありませんよ。しかも、特殊な恵まれた人以外は、仕事は何十年も続けなくてはならない。
「好きなことは趣味として続けて、仕事は別に持った方がいい。仕事にするとつらくなる」などと言う人もいますが、何を馬鹿なことを言っておるのか。やりたくないことを仕事にする方がつらいに決まってるじゃないですか。
実は、私もかつて営業をやったことがあるからよくわかる。
「今日も暑いなあ」と上司に言われて、「まあ、夏ですからね」と答えてしまうような人間にとって、営業ほど向いていない仕事はない。思わず「話し方講座(天気編)」を新聞の通信講座欄で探しましたよ。初めての就職先は、わずか3ヶ月で辞めました。
仮に月に100万円もらっても続けられなかったでしょう。あの3ヶ月はまさに地獄の日々だった。今から考えれば、営業としては実に楽な部類だったと思うのだが、まあ、人には適性というものがあるからね。
「どうせやりたくもない仕事なら、賃金が高い方がいい」という考え方はあるが、そもそもやりたくない仕事をやろうとする理屈が私には理解できない。私の場合はアホだったから「大学出たら就職する」という常識を疑いもせず、自分の適性を考えることもなく、普通に就職して3ヶ月もたって「ああ、これは失敗だったな」と気がついた。
だが、今の若い人はあの頃の我々とは段違いに情報量が多い。何の準備も勉強もせずに面接に出かけ、それで受かってしまうような当時の就活と違って、今の就活を生き抜いた人たちは、段違いにレベルが高いのである。おそらく高度な天気の話だって問題なくできるはずだ。
「今日も暑いなあ」
「ええ、暑いですねえ。午後からは34度になるらしいですよ」
「えっ、ほんまかいな。たまらんなあ」
上司との高度な天気の会話もそつなくこなせるのである。そんな優秀な人である以上、仕事を選ぶ際には、自分が何をやりたいのかを第一に考えていただきたいのである。
もちろん俳優や歌手、漫画家、小説家などの特殊な職業は除外する。だが、その周辺の職業になら努力すれば就けるはずだ。落語家は、教えられたとおりにやれば、誰でも笑うようにできていると桂米朝師匠が言ってたと思うが、あれは疑問である。滑舌が悪すぎる。たぶん私には無理だ。
本当に出稼ぎ労働者になってブルーベリーの収穫をやりたいのか? まあ、事業を興すための資金稼ぎなら理由にはなるだろう。だが、おそらく労働環境は悪いはずだ。夏の炎天下に交通整理をやっている警備員や建設作業員は大変だと思うが、きっとそれよりも劣悪な環境なのではないか。50万円で引き合うかどうか?
私が嫌いな虫だっていっぱいいるだろう。いや、写真を見るのもいやなヘビだっているに違いない。ブルーベリーを獲ろうとしたら、枝にヘビが絡みついていて目が合うのである。私なら気が狂う。間違えてヘビをつかんだりしたら、ショックで心臓が停止するに違いない。
まあ、人間には適性もあるが耐性もあるからね。私が無理なことだって、平気な人は山ほどいるし、そんな人からすれば私の言っていることは余計なお世話なのだ。
と言うわけで、無駄なことを書いてしまったのである。やれやれ。