場末の映画館

昔は、映画館が小便臭かったもんだがなあ。

粉砕! 堅あげポテト

 

 ご存知だろうか?

 人間というのは、不思議なものだ。

 それまで何も感じなかった行為に対し、何かをきっかけとして急に腹立たしくなったりする。カチンときたり、イライラしたり、心のどこかにトゲのように刺さったりして、それが嫌悪感につながり、例えば夫婦が離婚したり、恋人が別れたりする。

 私が会社を退社したのも、それと同じことだと思う。決して口の周りにできた吹き出物や、3.7キロ増えた体重や、ましてや頭が薄くなったせいなどではない。

 今でもはっきりと覚えている。私がまだ28だったある日のことだ。部下の一人が堅あげポテトをボリボリ食べ出した。

 あらかじめ言っておくと、その会社は、比較的自由な職場だった。おやつはOKで、私も小腹が減った時用に、引き出しの一番下はおやつの保管庫になっていた。

 だが、その時、私は無性に腹が立ったのだ。

 彼の食べる音を聞いているうちに、私が音を立てて食べる人間が嫌いであることに気づいた。クチャラーはもちろん、堅あげポテトのパリパリいう音も許せないのである。

 なぜ、それまで意識していなかったのか不思議で仕方がない。おそらくだが、それは一番身近な存在、つまり父親が絡んでいたからせいかもしれない。無意識のうちに、考えることを放棄していたのだろうか。彼は、おかきが大好きで暇さえあればポリポリパリパリ食べていたのである。

 そんな父親に反発していたのか、いつの間にか私は、蕎麦でもうどんでも音を立てずに食べるようになっていた。おかきは好きだったが、口の中に放り込み、ツバで溶かして静かに食べる。

 弁当の時間もそうだったので、高校の時のあだ名は、「静かなる男」だ。ただし、猫舌だから熱い食べ物の場合は「ふーふー」はする。

 堅あげポテトの音について語ろう。最初はバリバリボリボリで、途中からグチャグチャになり、最終的にはニチャニチャになる。私は、頭と顔は悪いが耳はいい。微細な音まで聞き逃さないのである。

 チーフの私が徹夜で仕事をやり続け、今も必死になってパソコンを打ち続けているというのに、のんきに堅あげポテトなんか食いやがって。見ろ。チェックの入ったラフ原稿は、赤文字だらけなんだぞ。

「わかります?」という担当者の声がよみがえる。「これじゃあ、ターゲットの主婦層には届かないと思うんですよね」

「わかります?」という彼の声がリアルによみがえり、私は頭のてっぺんが噴火したような気がした。

 私は、机の引き出しの中からコンビニでもらった未使用のスプーンをつかんだ。椅子から立ち上がって、そのまま堅あげポテトを食べ続ける部下の席まで足を進める。そして、堅あげポテトの袋を両手で思い切りおさえ、さらに袋の上から何度も殴りつけたのである。最終的には、堅あげポテトは、粉ポテトになった。

 呆然とするそいつに向かってスプーンを突き出す。

「これですくって食え」

 その後、私はパワハラの責任を取って会社を辞めたのだ。いや、それは嘘だ。給料が二倍になるランクが上の会社に移ったのである。

 会社を辞めた日、「すまんな」という私に対し、彼は、少し怯えたような表情を見せていた。今思いだしても心が痛む。

 ちなみに私は、あまり音がしないキャラメルコーンが好きなのだが、ここでキャラメルコーンの正しい食し方をお教えしておこう。

 まず、かんではいけない。かめばやはり微かではあるが音がする。舌の上に載せ、溶けるのを待つのである。

 待つ間に、キャラメルコーンの甘みが溶けて口中に広がる。その甘みを楽しみながら、いれておいた紅茶の香りをかぐ。すると、紅茶の中に含まれるタンニンの匂いが微かな渋みをもたらし、それがキャラメルコーンの甘みと混ざり合って、至高の味わいとなるのだ。

 書斎でムスティスラフ・ロストロポーヴィチのチェロの調べを聞きながら、アールグレイの香りを楽しむときほど、私の心が安らぐときはない。

 ただ、残念なのは、いまだにムスティスラフ・ロストロポーヴィチの名前を覚えられないことと、もう一つ、クレオパトラ似の妻の好物がキャラメルコーンではなく、堅あげポテトだということだけである。